命の灯と星空

僕が見た星空の中で,どちらが綺麗だったか決められないものが2つあります.

美瑛で見た星空と仙台で見た星空です.

 

 

前回の記事で夜景について触れましたが,街の明かりが眩しいと星空は見えなくなるので,人間の目で両方の輝きを同時に楽しむことはできません.

これも一種のトレードオフですかね.

前回の内容を引っ張った言い方をすると,命の灯が輝いているところでは星空は見えないのです.

 

 

美瑛で見た星空は,家族旅行でゲストハウスに泊まったときのものです.

家族旅行でゲストハウスに泊まるのってなかなか珍しいよね…?

父はわかってて予約したのだろうか,別に僕はゲストハウス好きだから何も言わなかったし楽しかったけど.

(このとき泊まった場所は貸し切れるお部屋があったので,知らない人と相部屋ではありませんでした)

 

 

美瑛の周りは夜まで明かりの点いてる建物がほとんどなく,見上げると満天の星空が広がっていました.

流石北の大地.

出発時に星空のことなど頭になかった僕は,カメラは持って行っていたものの三脚は用意しておらず,これでは写真を撮ることはできないと少し後悔していました.

でも星が綺麗なところには三脚を持っている人がいるものです.

ゲストハウスで仲良くなったカメラガチ勢の方々についていき,三脚を貸していただいて撮った写真がこちらです.

  

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画質は知らん.

この時感じたのは,肉眼に勝るもんはないな,と.

カメラの性能だとか,レンズの明るさとか,撮影技術とかであがいても両の目で直接見た方が絶対いい,少なくとも星空は.

わざわざ半球状に映るものを四角い画角に切り取る必要性が全くない.

 

 

とか思ってしまうくらいにはこの時の景色に圧倒されてしまいました.

まさか推しとのファンクラブ旅行で数年後同じ地を訪れるとは思いませんでしたが,どちらも良い思い出です.

 

 

もう片方の仙台で見た星空は,2011年3月11日の東日本大震災の晩に見たものです.

この日僕は母と2人で眼科に行っていました.

街中にある眼科で,建物も非常に新しくそこら辺の地盤が固いことも知っていたので身の危険は感じませんでした.

が,身体に伝わってくる揺れは非常に大きく長く, 天井から吹き抜けを突き抜けて長くぶら下がる照明の揺れからもただ事ではないことが分かりました.

 

 

母や,看護師さんですらも不安な表情を浮かべていたので,少しでも落ち着いたらいいなと軽く話し掛けながら揺れが収まるのを待ちました.

ただ, この時弟は模試を受けていた最中で学校におり,校舎がとても古く体育館の雨漏りもひどいようなところだったので,大きな地震がきたら耐えられるかわからないと周辺住民はみな思っていたと思います.

母も恐らく自分たちの心配ではなく弟のことを思って不安な表情をみせていたのでしょう.

結果的に校舎は倒壊せずヒビで済み,弟も無事でしたが,実際に顔を見るまでは最悪の事態もあり得るかもしれない,そう思うほどの揺れでした.

 

 

帰り道で目にした信号機は全て電気が通っておらず,ところどころ地割れが起こっていました.

弟と職場から戻ってきた父と家の中を確認しましたが,全てのタンスが倒れており,部屋の至る所に割れたガラスが散らばり,大きめの重いオーブンレンジが飛ばなければ届かない位置に転がっていて,とてもその日のうちに自宅で安全に眠れるスペースを確保できるとは思えませんでした.

正直地震が起こった時に家族が誰も自宅にいなくて良かったと思いました.

それと自宅周辺がガス臭かったことも記憶しています.

僕達は,最低限の防寒具や災害用品だけを発掘し,震災初日の夜を学校の避難所で過ごしました.

 

 

避難所の体育館は,同じく安全に眠る場所を確保できなかったであろう人達でごった返し入りきらなかったので,武道場も解放され僕たち家族はそちらで一晩を過ごすことになりました.

携帯の電波もうまくつながらず,外部からの情報源はラジオだけで,一晩中淡々とニュースが読み上げられ続けていました.

武道場では常に皆が聞こえる音量でラジオが流れていたのですが,深夜2時頃になっても全く眠くならず僕はずっとニュースに耳を傾けていました.

隣の区で,少なくとも200人以上は死者が出ていると読み上げられた時,真夜中の武道場は微かにざわめき,その時同時に僕は被害の大きさをだいたい分かったような気になりました.

武道場のトイレは使えなくなっていて校舎まで歩かねばならず,僕は寒いのを我慢して外に出ました.

 

 

自宅のマンションだけでなく,避難所の学校もその立地から見晴らしがよく,近くもないのに海が見えるほどで,前回の記事に書いた夜景もある程度は見渡せる場所でした.

しかし振り返って市街地を見下ろしても,明かりの点いている建物などどこにも見当たらず,地平線にはただ闇が広がっていました.

その日,あの場所から確かに見えていたはずの,数え切れないほどの命の灯が消え,代わりに頭上には満天の星空が輝いていました.

本当に綺麗でした.

 

 

この時感じたのは,視力が足りない,と.

目を凝らすと今ハッキリと見えている星と星の間にも,微かに輝く星があり,視力の限界でそこにあるはずの星にも見えていないものがあると思いました.

震災で街の明かりが消えて,そこで初めていつでも頭上に広がっていたことに気づいた時も,楽しい家族旅行で訪れた先で目にした時も,等しく星空は壮大で儚げに輝いていました.

 

 

どちらの方が綺麗だったのか,僕にはわかりません.

この先またどこかで美しい星空を見ることがあるかもしれません.

でも,恐らくこの2つの星空を忘れることはないんだと思います.

 

 

おやすみなさい,まだ寝ないけど.